爺ちゃんはお金持ち

 外で車の止まる音がした。今日は孫のくる日である。
五歳を過ぎたこの子は、目下いたずら盛りで困っている。
そしてだんだんと理屈を言うようにもなってきた。

 しばらくは階下で遊んでいる様子だった孫が、今度は二階に上がってくる気配である。
二階でパソコンに向かっていた私は「そうら来た」と警戒態勢に入った。
この子が来ると必ずいたずらをするので警戒するのである。
この前などは、いきなり電源スイッチを切られ大慌てした経験がある。
彼が入ってきた。
私は全身で「構え」の体制に入って しかし表面上は冷静に「おう来たか」と、 にこやかに迎え入れた。
しかし 今日に限って「手」を出さないのである。
立ち止まったままじっと室内を眺めた後で「お爺ちゃんはお金持ちやなー」と 一言つぶやいたのである。
突然何を言い出すのかと思ったが 私はすぐに彼の魂胆を見抜いたのである。

 私は彼が遊びに来たときは、散歩がてらに近くのコンビニにおやつを買いに 行くことにしている。
二人で手をつないで話をしながら行くのが、私と彼の楽しみの一つなのである。
しかし、この子の母親から「おやつは一つ、甘くないもの」と釘をさされているから 欲しがるまま買い与えるわけには行かないのが現状である。
でも、世の中には「本音」と「たてまえ」が有るがごとく、「母親に見せるおやつ」と 帰る道すがら食べる「本命のおやつ」で二人の絆は固く結ばれているのである。
ところがこの「本命のおやつ」を最近彼が「増量」要求するようになった為に私は 「もうお金がない」作戦で対処しているのだが、彼はそれが不満の様子なのだ。
彼は「パソコンや、スキャナーや本など こんなにたくさん買えるのに どうして僕のおやつが買えないの」と言いたいのだ。
「お爺ちゃんはお金持ちやなー」の裏にこの矛盾を追及する意志が見て取れるのである。
私はこの奇襲攻撃にどう答えるべきか頭をフル回転させた。
そして名案が浮かんだ。
「爺ちゃんはお金がないからこれも、これもみんなお婆ちゃんに買ってもらったんや」と。
  これを聞いた彼は、何を思ったのか一目散に階下に走り去ったのである。
私は防御策が功を奏したのかと一瞬思ったが、これくらいで引き下がる彼では 無いことを私が一番良く知っている。
となると考えられることはこの話の 裏付け捜査にカミさんの所に行ったに違いない。
私は階段口まで行って、階下の会話に耳をそばだてた。
「お婆ちゃん、お二階のパショコンはお婆ちゃんが買ってあげたの?」
「ううん あれは爺ちゃんが自分のお金で買ったんよ」。
私は「なんと言うことを!」と思ったが、カミさんと口裏を合わせては いなかったから、これは仕方がない。
彼のとって返す足音を聞いて急いで席に戻りながら私は「どうしたものか」と 返答を考えたが良い知恵が浮かばない。
戻ってきた彼が私にど言うかを聞いてから対処するしかない。

 彼が戻ってきた。
またしても室内を眺め直しているではないか。
私は判決を受ける受刑者になったような気分で彼の言葉を待った。
「爺ちゃんは パショコンを買ってお金が無くなったんや」
おおっ!これは無罪判決か?私は小躍りせんばかりに喜んだ。
しかしまだ警戒の手を緩めるわけにはいかない。
「そうや 前は一杯お金持ってたんやけどパショコン買って みんな無くなったんや」
すると一言「ふーん かわいしょうなやなー」これで終わったのである。
情状酌量の温情判決であった。
ここまで来て、私はふと気が付いたのである。
矛盾を追及するとか、嘘を見抜いて逆手に取るとか、そんなことは 大人の世界の事なのであった。
純真な子供がそんな醜い判断をするはずが無いのである。
先走って勘ぐったのは爺ちゃんの方であった。
お詫びのしるしに「本命のおやつ」を奮発してやらなきゃと 彼を抱き上げた爺ちゃんなのでした。