長い影法師

 母が乳母車を押しています。
その側を、私が歩いています。
乳母車の中には、弟が寝ていたのか、荷物だけが乗っていたのか よく覚えていません。
蝉時雨の田舎道を 二時間ほど歩き通してやっと 鎮守の森の見える 所まで来ました。
あの向こうが「爺ちゃん」の居る母の里です。

 今からもう、五十年以上も前のぼんやりした記憶です。
でも、あの一部分だけは今でも鮮明に覚えています。
私がまだ 五歳か六歳の頃のことです。
母と長い長い道のりを歩いて、時々乳母車にぶら下がったりしながら やっとたどり着いた爺ちゃんの家は、いつもと全然違う雰囲気でした。
知らない大人たちが沢山居て、しかもみんな黙りこくって 私はいったい どうなったのかと不安でした。
いつもは優しい爺ちゃんも、今日は怖い顔をして でもいつもの通り 私を抱き上げてくれました。
しかし今日は 無言のままでした。

 外で誰かが大声で何かを叫びました。
家の中にいた沢山の大人たちが 一斉に表に出ていきます。
爺ちゃんも私を抱いたまま、玄関まで出ました。 私の側には、母が立ちました。
先に出た大人たちは 本道に続く坂道の両側に並んで立っていました。
その本道の方から 数人の行列がこちらに向かってゆっくりと歩いてきます。
先頭の人は、白い布で包まれた四角い箱を持っていました。
首から白い布でその箱を吊して そして両手で抱えています。
ヒグラシ蝉が「カナカナカナ」と鳴く以外は物音一つしません。
大人たちは皆、その白い箱に向かって手を合わせています。
傾きかけた太陽が、行列の前に長い影法師を作っていました。
両側に並んだ大人たちの間を、影法師がゆっくり進んできました。

 その影法師の先端が玄関に届いた時、母が泣き声で「お帰り ! 」と、 呟きました。
その言葉を聞いて周りの大人たちが一斉に 泣き出しました。
後で聞いたのですが、今日は、戦死した母の弟の遺骨が帰った日だったのです。

 その後で、仏間に上がった白い箱が爺ちゃんの手で開けられました。
箱の中には、綿で包まれた小さな石ころが入っていました。
その石ころを取り出した爺ちゃんは、長い間見つめた後で 唯一言 「こんなになって!」と言って、ポロポロと涙を流しました。
その涙が私の襟首にポタポタと落ちました。
周りの大人たちも 声を出したみんな泣きました。

 一晩母の里で泊まって また長い長い道を歩いて帰りました。
その道すがら母は、私に言いました。
「あの子は、いつも早く家に帰りたい帰りたいと思っていたに 違いないんよ。
だからその想いが長ーい影法師になったんと思うよ。
ちょっとでも早くちょっとでも早く家に帰りたいってね。
その気持ちがお母さんには良く解っていたから・・・・」
そこまで言って母は、絶句しました。

「巡礼の道」の、「軍歌が行き、英霊が帰った」の部分は、この時の想いを書いたものです。