祈りの姿

 私の母は、私たち兄弟が毎日登校するとき、また遠足や旅行に 出かける時も 決まって庭先まで見送りに出てくれる人でした。
坂道をゆっくり曲がって 私たちの姿が木立に隠れて見えなく なるまで、合掌した姿で見送ってくれていました。
母の合掌する姿は、小さい時から見慣れていましたので その時は何とも感じなかったのですが、あるとき弟が「どうして お母さんは 手を合わせて見送るの?」と聞いたことがあります。
その時母は「お前達が皆無事で帰ってくるように お祈りしているんだよ」と答えたものでした。 そうしたら3番目の弟が「帰ってくるのに決まってるやん」と 平然 と答えたのを覚えています。
無事に帰ってくる事の大切さを解らなかった私たちは、「ふーん」で 終わっていたように思います。 しかし 母が祈る姿を私たち兄弟に見せた意味は ずっと後になって 解りました。

 私は田舎の学校を出て、京都に就職することになりました。 出発する朝、母は駅まで見送りに来てくれました。
私が窓際に席を取って座り、母は窓の外から私を見上げて それでも 話はあまりしなかったように思います。 列車がゴトンと揺れて動き出したとき、母は私に向かって 合掌しました。 目から涙が溢れていました。
その時母は「この子が出世しますように」とか「お金持ちに なりますように」とか 祈ったのではないと思います。
きっと「病気をしませんように」「ひもじい想いをしませんように」 そんな願いだったに違いありません。
私はこの時 この母に心配をかけてはいけない・・そう心に 誓いました。 桜の花の満開のホームで 合掌している母の姿を、私は今でも 覚えています。